田村ビルズグループ
Nanase Tsukuya / 佃屋 七星
INDEX
ーーーー芸人を目指したキッカケを教えてください。
ゴリけんさん:
「大学生までずっと剣道をやっておりまして、高校は九州学院という全国でも強いと有名な強豪校に入ったのですが、頑張っていましたがレギュラーにはなれませんでした。そこでムードメーカーというポジションがありまして、とんねるずさんも帝京高校の野球部で補欠のムードメーカーをされていたと伺って、そういったものとリンクさせて勘違いしたのがキッカケです。(笑)」
ーーーームードメーカーは生まれた時からムードメーカーのようなイメージがありますが…
ゴリけんさん:
「僕は熊本の八代というところから熊本市内の高校に剣道をしに行きました。集まっていたのは全国レベルのメンバーで、野球で例えると僕だけまだキャッチボールも上手にできないような状態でした。実力差もハッキリあって、春合宿の間などもずっと誰とも話をせず、自分が出せなかった時期がありました。ところが春が終わって、夜ランニングをしている時に『誰か面白いことやれ!』と先輩が言ったんです。迷いましたが、そのまま下を向いて終わってしまうのではないかと考えた結果、お尻を出して全力で走りました。(笑)誰だ誰だと現場はざわつきましたがそれ以降可愛がられるようになりました。本当に勇気と尻は出すものだと、ずっと言っています。(笑)そこから学校のスターになっていきましたよ!剣道で福岡大学に行きましたが、先輩からは『お前は剣道せんでいいから、芸だけ頑張れ』とご指導いただきまして、本格的にプロの道を目指し始めました。」
ーーーーお尻を出して皆さんからの扱いが変わった後はご自身で面白くなるための工夫や努力など
はされていたのですか?
ゴリけんさん:
「教室を営業みたいに回っていたので、下級生の時は怖い先輩に呼び出されるんですよ。新ネタを作っていないと怖い先輩に睨まれるので、スパルタ的な考えでネタを生み出していましたね。」
ーーーー今では福岡で活躍されていますが、実はお笑いのキャリアは大阪からスタートしたそうですね。大阪時代を振り返って、いかがでしたか?
ゴリけんさん:
「大阪のNSC吉本総合芸能学院というところで、同期にはバイきんぐの小峠がいましたね。同期はもう3組くらいしかいないですが、そこでいろいろ学んで元々東京志望だったので大阪で2年ほど修行させていただき、東京はお笑いの事務所が吉本興業だけじゃないことを知って渡辺プロダクションのドリフターズ、クレイジーキャッツがご活躍されていたから門を叩きました。元々とんねるずやダウンタウンに憧れて入る方が多いですけど、1週間経ったら諦めるというのがお笑い界のあるあるだと思います。300人いた同期も、卒業する頃には10組程度にまで減っていました。」
ーーーー福岡へはどのような経緯で移住されることになったのでしょうか?
ゴリけんさん:
「『福岡で仕事が決まったぞ。』と言われて、『嬉しいです、泊まりですか?』と聞いたら『住み込みです。』と言われたことから始まりました。元々、渡辺プロダクションの元代表が福岡の出身で支社を作りたいという会社の方針があったんです。その時に僕とパラシュート部隊が送り込まれました。マネージャーも全く付いていなくて、寮だけいただいて『さあ、どうぞ!』という感じで福岡への移住が決まりました。自分たちで名刺も作って、裏に“なんでもやります”と書いて、最初に来た仕事は運動会の代走でしたね。(笑)自分たちで局を回って、スポンサーを作っていました。最初にお笑いライブを福岡でやろうとした時も普通の場所でやっても目立たないと思ったので、福岡にある有名な照和というライブハウスがあるんですけど、そこでは海援隊や長渕剛さんなどの錚々たるメンバーが出ていらっしゃるんです。そこでお笑いライブをやりたいと思ったのですが、周りは無理だと言うんです。それを押し切って電話をしたらあっさり『どうぞ』と言ってくださり、そこでお笑いライブをすることを共同通信さんが取り上げてくださり、全国紙に載って、新幹線ニュースにも載ったんです。そこからはニュースになるような爪痕を考えていました。」
ーーーーローカルで風向きが変わったと実感したのはいつくらいでしたか?
ゴリけんさん:
「ゴリパラ見聞録(テレビ西日本)という番組が始まって、しばらくしてから局で開催されるお祭りがありまして、グッズ販売をしたのですがとんでもない列ができたんです。アイドルでも来てる?と周りに言われるほどでした(笑)そこまで人気者になってきたとかそんな実感はなかったからこそ、驚きましたね。その波に乗ってイベントを開催したら3000人もの方々が来てくださりました。」
ーーーーゴリパラ見聞録を見たことのない方のためにも、どんな番組かご説明いただけますか?
ゴリけんさん:
「ゴリパラ見聞録は皆さんの全国各地の行きたいところを5つ聞いて、あなたの代わりに私たちが行って写真を撮ってきますという番組です。だからガチンコでその日に行く場所が決まるという…。山口県もしょっちゅう行っていましたよ。」
ーーーー数ある旅番組の中でも“ゴリパラ見聞録”が話題を集めている理由は何だと思いますか?
ゴリけんさん:
「斉藤(パラシュート部隊)という芸人も出ているのですが、前編後編と別れていて、前編の放送でお酒を一杯飲みながら人間性を曝け出しているのですが、そこも人気の理由だと思います。皆んなには心のパンツを脱いだと言われます。(笑)」
ーーーー2006年に福岡に移住されたそうですが、当時のことを伺ってもよろしいでしょうか?
ゴリけんさん:
「当時は“左遷”と言われてました。福岡だと昔の菅原道真さんがそうだったこともあり、僕らも非常にそのように言われることに対して悔しさはありました。いつか福岡に行きたいと言わせるような仕事をして行こうという話はしましたね。今は話題の人たちが福岡に移住してくるようになってきましたよね、その先駆けがゴリけんだと言われると、嬉しいですね。福岡は自然も多くて食べ物が美味しいし、空港も近くて、東京のように人で溢れかえっていないのでそう考えると贅沢だと感じます。チェーン店の居酒屋の質さえ良く感じますよ。(笑)」
ーーーー逆に大変だったことはありますか?
ゴリけんさん:
「土地柄的に飲み会が多いことですかね。コロナ禍前ですが飲んで腹を割っていくような飲み方でしたね。打ち合わせをしただけで飲み会があるんですよ!(笑)」
ーーーー物件選びや生活面で、移住を考えている方にアドバイスをするとしたらどんな言葉をかけますか?
ゴリけんさん:
「自分はまず街を歩きに行きます。一階は極力避ける人が多いと思いますが、僕は一階が気に入っています。エレベーターで人と鉢合わせしなくて済みますし、意外と気にせず出入りができるんです。」
ーーーーリスナーの皆様に応援メッセージをお願いします。
ゴリけんさん:
「最終的に応援してくれるのは、今頑張ってる自分ですよ、と。辛い時を乗り越えた自分が未来で応援してくれるんだぞと武田鉄矢さんが仰っていたので!(笑)その言葉は間違いないと思っています。」
Epilogue
いかがでしたでしょうか?ゴリけんさんは歴史がとってもお好きとのことで、私も中学生の頃は歴女というあだ名が付くくらい好きだったので、ゴリけんさんのお話を聞きたいと思いました♩皆さんもゴリけんさんのSNSをチェックして見てくださいね!
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佃屋 七星 / Nanase Tsukuya
1999年生まれ下関市出身。大学では韓国語を専攻していました。田村ビルズグループの企業理念に共感し、2022年に新卒で入社。歴史が好きで、御朱印帳を持って観光スポット巡りをすることが好きです。