【田村ビルズグループで働く人~Volume9:西村勇哉~】

本日のご紹介は環境事業部の西村勇哉さんです✨

Profile
名前:西村勇哉(入社11年目)
所属:環境事業部
出身地:山口県萩市
経歴:田村ビルズ長門店配属(1年目)→環境事業部(2年目~現在)

ーーーー入社のキッカケを教えて下さい。

西村さん:

「愛知県の大学に通っていました。長期の休暇で山口県に帰省して、近くのグランドホテルで”Uターン就職セミナー”が行われていました。フラッと立ち寄って見たところ、そこに田村ビルズのブースがありました。当時の採用担当の方と、河村さんのお二人がいらっしゃって、プロジェクターで資料を写すこともなく、ただ口頭で話をするというスタイルの説明会でした。もちろん何社も見て回りましたが、一番印象に残ったのは”田村ビルズの河村さん”でした。大学のゼミでも3DCADを使って車のデザインをして、そのまま資格も取得しました。情報メディア工学科でデジタルを学んで、一番就職に強いゼミに入りました。その資格を使って車のデザインを仕事とする予定でした。自分には性格上合わないと分かっていたので、人にフォーカスを当てた就職活動をしていなかった分、自分を拾ってくれる会社に出会えたことは良かったです。山口県を出てダンスで世界を回るという夢を持ち愛知の大学に進学しましたが、結果は山口県に戻ってきてしまいました。当時は『どこでではなく、誰と働くか。』という採用スローガンもなく、ただ『働く場所は大事ではない。そこでどんな先輩が働いていて、どんな人と一緒に人生を共にするのか。』という話を選考中に聞きました。今の建築足場事業部にいらっしゃる上野さんと選考中に出会い、上野さんが長門・萩店に勤務されていて、自分の出身地で働いていると言うことを知り親近感が湧きました。」

ーーーー佐藤さんから指名を受けて一言、お願いします!ルーキーミーティングを一緒に運営されていたと言うことで、当時の話も伺いたいです。

西村さん:

「もちろん今と変わらずフィロソフィを読んでいましたが、リーダーズや上杉鷹山の映画を視聴して商売人としての教えを学びました。当時のルーキーは1年目~6年目までで約30人の社員が集い、私が一年目の時のリーダーが佐々木さんでした。佐々木さんが当時ハウスドゥ山口平川店の店長になられたくらいで、店長と一緒にルーキーミーティングをやっていました。店長代理の方もいらっしゃったりして、フィロソフィの話ももちろん聞きますが、経営における数字の見方を学ぶことができました。ルーキーリーダーとなってからはルーキーミーティング後は必ず、リーダーでルーキーミーティングの3部として第3のルーキーミーティングを開いていました。反省会をして、参加した皆が来て良かったと思えるような運営を常に心がけていました。来てもらって、成長しなければならないので、その成長しているメンバーから『私も参画したいです。』というメンバーにバトンタッチしていきました。あ、理太さん、ぜひ飲みに行きましょうね!(笑)」

ーーーー働いていて、苦労したこと・嬉しかったエピソードを伺いたいです。

「まずは今、働けていることがとてもありがたいし嬉しいです。リーダーになって日々小さな幸せを感じることがあります。私は掃除が大好きなので百々さんや西村直矢さんがそれを見て、率先して『私もやります。』と言ってくれるようになり、そういった何気ない優しさに幸せを感じています。そして環境事業部のコンパがすごく良いです。建設的な話で責め心なく、全員でもっと良くしていこうという思いを感じます。一方で問題を抱えている人は、そこを皆で解決しようとする前向きな姿勢の方が多くて、そういった意見交換の場がすごく楽しいです。

 苦労したことですね、今まで全て先輩・上司に尻拭いをしていただいていたので本当に苦労されていたのは肥後さんや齋藤さん、河村さん、田村さんですよね…。申し訳ございません。仕事の中での苦労は苦労だと思っていません。これを乗り越えることができたら、自分の良い経験になると思います。失敗は敗れるを失うと書くので、勝ちと同じ事だと思っています。なので社会人1年目、2年目は根拠のある失敗はどんどんして良いと思います。もちろんパーフェクトを目指した上でですけどね!クレームの連絡があっても、『クレームを”いただいている”』という気持ちがあるから、それをいかにお客様に喜んでいただけるかという目線で改善しています。田村さんには以前、『たくさん失敗していることを隠すなよ』と言われましたが、私は失敗を失敗だと思ってないようです。(笑)」

ーーーー仕事観を変えた一言を田村さんからいただいたそうですね。

西村さん:

「環境事業部に配属されて半年経った頃に、強烈な言葉をいただきました。『その考え方で何人を幸せにできた?』というお言葉をいただきました。プライベートでダンスもしながら仕事をしていて、当時何か失敗をしたのでしょう、突然帰り際にカウンター越しで言われました。自分の人生観・仕事観が変わる一言でした。ダンスはすごく利己的だったなと、自分の見栄だけでやっていないかと、考えさせられたのがその一言でした。(西村勇哉さんが2年目の当時は現在のタムラエンバイロが本社でした。)リーダーになる時のコンパでは、『みんなのために。』という言葉をいただきました。みんなという幅が今はどんどん広がっていますが、経営会議にも参画させてもらって、グループとして他社の経営者の方々が注目して下さっているのをすごく感じるので、地域・業界の進歩発展に貢献するという心がすごく燃えています。」

ーーーーこれからの展望を聞かせて下さい。

西村さん:

「まずは2026年の売上100億、経常利益10億円という定量的中期ビジョンの達成、そして2030年に向けては今の1~3年目までの社員が次の会社を担うプレーヤーになり、会社を支えていく存在になっています。田村ビルズグループが山口県の次を担う企業になりたいです。個人としては業界の日本一になりたいです。そして業界の中だけでなく、人づくり・地域づくりなどの地域の活性化を歩く太陽として、貢献していきたいと思っています。」

ーーーー意識しているフィロソフィとその理由を教えて下さい。

西村さん:

「『常に明るく前向きに。』です!これは陽キャラになりなさいというわけではなく、全てを善に捉えなさいという稲盛さんの言葉を丸呑みしています。暗い人よりも明るい人と付き合う方が、自分の人生も明るくなります。私自身、学生の頃から周囲の人間が明るかったです。両親も含め。だから周りに照らしていただいていたと思います。次は社会というステージで誰かにスポットライトを当てられる、明るくできるようになろうと思ってずっと意識していました。」

ーーーー環境事業部の方々にメッセージをお願い致します。

「いつもありがとうございます。これからも全員のベクトルを1つに、守りを強化してグループの盤石な経営基盤を作って更なる成長をしていきましょう!」

Epilogue


いかがでしたでしょうか?タムラエンバイロの工場に足を運んだことがない方、ぜひ一度工場に足を運んでみて下さいね✨西村さんは日頃から、お客さんに「会って良かった」と思って貰えるような接客を心がけているそうです。私自身にも笑顔で帰って欲しいと仰ってくださり、終始西村さんの優しさを感じました😢次の紹介は上野公嗣さんです!お楽しみに☆

作者プロフィール

田村ビルズグループ 広報 
佃屋 七星 / Nanase Tsukuya
1999年生まれ下関市出身。大学では韓国語を専攻していました。田村ビルズグループの企業理念に共感し、2022年に新卒で入社。歴史が好きで、御朱印帳を持って観光スポット巡りをすることが好きです。

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