
前職では、ハウスメーカーで新築の営業を8年ほどしていました。当時はコロナ禍で市場が縮小し、若手の入社も減っていたんです。将来を考えた時、このまま続けていいのかと疑問に思い、転職サイトで田村ビルズを見つけました。転職の選択肢は二つありました。一つは営業職として不動産仲介業を続けること、もう一つは実家を継ぐこと。実は、他の会社から内定をもらっていました。でも、最終的な決め手は、将来的に家業を継ぐ身になったときに、田村ビルズのアメーバ経営や店舗経営を肌で感じられる環境に惹かれたことです。長い目で見て、経営に携わりながら営業スキルも磨ける、それが田村ビルズでした。社長との面接では、中途採用の私たちにも等しく学びの機会があること、そして中途の力が必要だと言われたのを覚えています。私の父は35年間、会社を経営していて、その経営の基盤にしていたのが稲盛和夫さんでした。父が持っていた稲盛さんの本を読んでいたこともあり、アメーバ経営という言葉に親近感を持ったんです。
前職ではインセンティブが大きな会社にいたので、入社したばかりの頃は、周りと関わらない「一匹狼」でした。同僚や先輩ともコミュニケーションをあまり取っていなかったんです。そんな私が変わったのは、ここ最近です。後輩ができたことでコミュニケーションが増え、周りの同僚にも目を向けるようになりました。それまで後輩を持ったことがなかったので、彼らが私の真似をしてついてきてくれたり、慕ってくれる姿を見て、「自分を変えなきゃ」と強く意識するようになったんです。彼らの存在が、私を成長させてくれました。
前職では決まった商材を扱っていたため、営業スタイルもマニュアル化されていました。自分のペースで仕事ができていた分、田村ビルズに転職して不動産売買仲介の世界に飛び込んだ時、そのギャップにひどく戸惑いました。不動産仲介は、お客さまからご相談をいただくところから始まり、物件の査定、権利関係の調査、契約書の作成、融資の調整、引き渡しまで、多岐にわたる専門業務をこなさなければなりません。特に苦労したのは入社1年目です。前職で培った自信が打ち砕かれるような日々でした。成果が出ない時期は、京セラフィロソフィにある『人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力』という言葉が心の支えでした。ただがむしゃらに働くのではなく、『なせば成る、なさねば成らぬ何事も』という精神で、どうすればお客さまの期待に応えられるか、毎日必死に考え抜きました。また、うまくいかないからといって『苦難から逃げてはいけない』と自分に言い聞かせ、一つ一つの案件に真摯に向き合うことで、少しずつ道が開けていったんです。
何よりもうれしいのは、お客さまから『河杉さんに任せてよかった、ありがとう』と直接感謝の言葉をいただいたときです。特に印象に残っているのは、高齢のご夫婦から長年住み慣れたご実家の売却を依頼された案件です。思い出が詰まった家を手放すことに踏み切れずにいらっしゃいました。私は『動機善なりや、私心なかりしか』というフィロソフィの精神にもとづき、自分たちの売上ではなくお客さまの利益を最優先に考えました。何度も足を運び、ご夫婦の思い出話を聞き、今後のライフプランを一緒に考えたんです。時間をかけて寄り添うことで、心を開いてくださり、『河杉さんになら、安心して任せられる』と信頼していただけました。
契約が無事に完了し、ご夫婦が新しい生活に向けて笑顔で出発された時、単なる不動産取引ではなく、人生の再出発を支えることができたと大きな喜びを感じました。最近では、チームメンバーの成長が何よりの喜びですね。彼らが自ら課題を見つけて解決したり、お客さまから直接感謝の言葉をもらっている姿を見た時は、自分のこと以上にうれしくなります。『人材は群生する』という言葉がありますが、まさにその通りで、みんなで影響し合って成長していくのだと実感しています。店長代理として、チーム全体の成功を自分の喜びにできるようになったのは、この仕事で得られた大きな財産です。
好きなフィロソフィは【何のために働くか】です。今も完全には答えが出ていません。前職では「自分のために働いている」と天狗になっていました。でも、田村ビルズに入社してから周りが頑張っているからこそ、自分も気持ちよく働けているんだと気づきました。周りのために働いている、その本当の答えを見つけたいですね。
今後の目標は、もっと尖っていくことです。今の若い世代は良くも悪くも真面目で、型にはまってしまっているように感じます。でも、本当はなんでも挑戦していいし、失敗してもいい。やりたいことをやってほしい。変にレールを敷くのではなく、ルールの範囲内で個人のやりたいようにやってほしいと思っています。そして、私自身が挑戦し続け、「山口県内で市場をジャックする」ような、そんな面白い存在になりたいです。
どこで話をしても「田村ビルズだ!」と言われる会社にしていきたいですね。
Epiloge
いかがでしたか?社員1人1人に違ったストーリーがあり、インタビューをする私が一番ワクワクしているかもしれません👀✨️次回の更新もお楽しみに⭐️
田村ビルズグループ 広報
佃屋 七星 / Nanase Tsukuya
1999年生まれ下関市出身。大学では韓国語を専攻していました。田村ビルズグループの魅力を発信し、ファンになってもらえる情報をお届けしていきます♪