【田村ビルズグループで働く人~Volume33:山野井瞬~】

名前:山野井瞬(入社10年目)
配属:タムラエンバイロ 事務・配車チーム
出身地:山口市

「資格を活かしたい」そんな気持ちから始まったエンバイロでの日々

スマホで求人を探していて偶然見つけたのが、エンバイロでした。高校でリフトや重機の資格を取っていたので、それが活かせる仕事を探してたんです。実は、1つ上の同じ高校の先輩がエンバイロで働いていて、工場見学もその方と齋藤さんが案内してくれて、実際話を聞いて「ここ、いいかもな」って思いました。工場見学の後にあった面接も、面接というよりは説明会みたいな感じでしたが、てっきり2対1のつもりでいたので、3人体制でいらっしゃったので少し驚いたのを覚えています(笑)

現場→収集→配車。いろんな経験がつながって今がある

入社して最初の1年くらいは選別の仕事をやっていました。そのあとは5~6年間ほど収集をさせていただきました。そして今は配車担当として、3年くらい経ちましたね。主な仕事は、収集スタッフの予定を組んだり、お客さんから「今日回収来てくれない?」という電話をいただいたときに、誰を向かわせるか調整するという感じです。現場のエリアとか、車の種類によっても調整が必要なので、かなり頭を使います。あと、廃材は時間が経つとどんどん増えるので、早めに対応できないとクレームになりかねないので、スピード感も大事ですね。忙しい時期は、自分も現場に出て手伝うこともありますよ。やっぱり現場の感覚は忘れたくないなと思っています。

パソコン未経験…正直、辞めたくなった時もあった

配車に異動したばかりのころは、本当にきつかったです。パソコンなんて触ったことがなかったんですよ。最初はExcelを開くだけで手が止まってました。あと、入社してすぐのコンパで、お酒の注ぎ方が分からなくて軽くお叱りを受けたことも…(笑)高校卒業してすぐだったし、社会のこと何にも知らなくて。
収集にいたとき、草刈りばっかりやってた期間があって、とにかく「現場を期限内に終わらせる」ってプレッシャーがすごかったです。でも、その経験があったからこそ、「これ以上キツいことはないな」って思えたんですよね。あれは自分にとって大きな成長に繋がりました。

「ありがとう」がもらえる仕事。配車になって見えた景色

選別のときは個人の考えですが、当時は正直やりがいを感じにくかったです。単純作業の繰り返しで。でも、収集や配車になってからは、「ありがとう」と直接言ってもらえる機会が増えてうれしいです。たとえば、「早く手配してくれて助かったよ」とか。そういう一言で「やってて良かったな」と思えます。
現場にいた頃は個人プレー。でも配車は全体を見て、みんなを動かす仕事なんです。現場と会社、内と外をつなぐHUB的な立場。だからこそ、全部が回ると気持ちがいいです。

好きなフィロソフィは「仕事はバトンタッチ」

これはフィロソフィの中でも特に好きな言葉です。営業が仕事を取ってきて、配車が調整して、収集・選別、キャロットが動いて、最後に事務がマニフェストを処理してくれる。どこかひとつでも欠けたら、絶対に回らない。配車って、ちょうど真ん中にいるような役割だと思ってて。自分がちゃんと調整しないと、全体が崩れるんですよ。しかも産廃の配車って、普通の運送とは全然違って、ルートや車種、現場の条件が毎回違う。まるでパズルを組んでるような感じです。現場を経験してきた自分だからこそ、今の配車の仕事ができてると思います。

「高卒だから」を言い訳にしない。環境事業部の土台をもっと強く

これからは、環境事業部としての横のつながりをもっと強くしていきたいと思ってます。配車が中心にいるからこそ、いろんな部門との連携が大事になってくると思います。そして、個人的には「高卒の人がもっと働きやすい会社にしたい」と思ってます。大卒ばかりだと、どうしても壁を感じるんですよね。だから、「高卒でもここまでやれるんだ」って見せられる存在になって、これから入ってくる人たちをサポートしていきたいですね。

Epiloge


いかがでしたか?高卒出身の社員インタビューは初めてでした!環境事業の要と言っても過言ではない…、周りと連携を取りながら仕事を回していくことの大切さを改めて感じました。次は久留米の店舗にお伺いします👀

作者プロフィール

田村ビルズグループ 広報 
佃屋 七星 / Nanase Tsukuya

1999年生まれ下関市出身。大学では韓国語を専攻していました。田村ビルズグループの魅力を発信し、ファンになってもらえる情報をお届けしていきます♪

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