佐々木清次さんに聞く歌手としての歩み、音楽人生について

左から広報岡野さん、枡田絵理奈さん、佐々木清次さん、田村社長

Nanase Tsukuya/佃屋 七星

音楽との出会い

――――佐々木様はどんなお子さんだったのでしょうか?

佐々木さん:

「家は瓦屋です。野球をずっとしていたこともありヤンチャでした。京都平安高校の野球部で、当時は厳しいだけで全然上達せず、甲子園予選の前日には胃を壊して、救急車で運ばれました。中学校の頃から趣味で歌を歌ったり、ギターを弾いたりしていて、10歳の時に“二十二才の別れ”をよく歌っていました。野球をやめた後は京都のラジオ局でAD(アシスタントディレクター)として働いて、そこからラジオ番組にも出演させていただいたりして、28歳で歌手としてデビューしました。」

――――子供の頃から歌はお上手だったのでしょうか?

佐々木さん:

「母が元々、歌が好きで、父と母に連れられてよくカラオケに行っていました。子守唄は演歌なんです。音楽一家ではないけれど、歌が身近にある環境下でしたね。」

――――やしきたかじんさんとの出会いについて聞かせてください。

佐々木さん:

「バーのカラオケで歌っていたら、やしきたかじんさんが入ってこられてマスターが『彼、歌手ですよ。』と紹介してくださりました。歌ってみたら『上手いやんけ。明日からウチに来い、契約しろ。』と言ってくださり、それから運転させていただいたり、荷物を持ったりさせていただきました。」

――――歌をやりたいということで歌手になられたと思いますが、ラジオのパーソナリティという少しジャンルの違うお仕事を20年間も続けられている理由はありますか?

佐々木さん:

「やしきたかじんさんと松山千春さんに、『歌を大切にするのはもちろんだが、ラジオは絶対に続けなさい。』と同じことを2人から言われました。今になって分かるのは、自分の人となりが見える発信の仕方があることはいつか必ず役に立ったり、聞いている人が明日からも頑張ろうと思ってくださったりするから、コロナ禍の中でも続けてくることができました。」

収録中の様子

社歌制作について

――――田村ビルズの社歌を作ってくださいましたが、曲作りはどこから始められたのでしょうか?

佐々木さん:

「歌詞も曲も同時並行で考えます。湧き出てきます、夜中に急にタヌキがポンッと降りてくるような感じです。ハウスドゥの歌もランニングをしながら、ピッタリのメロディーが降りてきました。大切にしているのは“フォークソング”で、言葉の一つ一つに感情を込めて歌っています。後から聞き返すと少し恥ずかしい時もありますが。(笑)」

「僕のデビュー曲は『ピリオド』なんですよ。ピリオドという歌を書いて、これを出そうと思ったわけではなくレコード会社で会議があって、そこから選ばれたものがピリオドでした。松山千春さんにも『デビュー曲で終わって、どうするんだよ。(笑)』と言われてしまいました。」

リスナーの皆様へ

――――リスナーの皆様に応援メッセージをお願いします。

佐々木さん:

「思えば叶う。口に十と書いて叶うという漢字になりますが、常に口にするよう心掛けていますし、常にリアルに描いて叶ってきたので皆様にも是非、口に出して行動していただきたいと思います!」

Epilogue


いかがでしたでしょうか?収録中も笑いが絶えず、和気藹々とした収録でした。田村ビルズ50周年記念ソング『パワフルパワー』を作って下さり、イベントも盛り上がること間違いなしです!本日から全世界に配信されています♩元気を与えてくれる歌なので皆様も覚えて一緒に歌いましょう!

作者プロフィール

田村ビルズグループ 広報 
佃屋 七星 / Nanase Tsukuya
1999年生まれ下関市出身。大学では韓国語を専攻していました。田村ビルズグループの企業理念に共感し、2022年に新卒で入社。歴史が好きで、御朱印帳を持って観光スポット巡りをすることが好きです。

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