28歳、新米執行役員。哲学を語ります。

TAMURAフィロソフィの実現に向けて、実際に社員は日々どんな想いで働いているのか。インタビュー形式で明らかにしていく本シリーズ。第一弾では、入社6年目、28歳の若さで執行役員に就任したばかりの岡野裕太さんに話を聞きました。

インタビュー動画(完全版)はこちら!

知識も経験も足りないなら、フィロソフィで話せばいい。

―はじめてフィロソフィを目にしたときの印象は覚えていますか?

岡野:フィロソフィって日本語で言うと「哲学」ですよね。学生時代そういうものをまったく勉強してこなかったので、すごく難しいものだと思っていたんです。でも内容を見てみると「こんなにシンプルでいいの?」というのが率直な印象でした。

―簡単に実現できると思った?

岡野:「感謝の気持ちを持ちなさい」とか「謙虚さを忘れないように」とか。そのときは「そりゃそうでしょ」と思ったんです。ところが、いざそれをやろうと思うとできない自分がいた。言葉はシンプルですが、「これは難しいぞ!」とすぐ気づきましたね。

―仕事ではどのように生きていますか?

岡野:あらゆる場面で助けられていますが、昨年事業部長を任されたときにより強く実感しました。部内には私より年上で経験豊富なメンバーがたくさんいて、「自分みたいな人間に務まるのか」と不安に思っていたんです。そうしたら社長が、「岡野は知識も経験も他の部下に比べて足りないんだから、フィロソフィで話をしろ」と言ってくださって。

―フィロソフィで話すとは?

岡野:例えば何か指摘しなければいけないとき、つい感情で言葉を発してしまいがちですよね。でもそれをグッと飲みこんで、「普段フィロソフィで学んでいる通り、こういう風にしてみませんか?」と言ってみる。すると「確かにそうだね」とスムーズなコミュニケーションが生まれるんですよね。うちの会社は、フィロソフィに対してはみんなベクトルが揃ってますから。

少しは胸を張って生きられるようになりました。

―フィロソフィが仕事を超えて人生に影響してくることもありますか?

岡野:お恥ずかしい話ですが、私はまったく「立派な人間」ではなかったんです。学生時代も適当に生きてきて、大して勉強もしてこなかった。親にも申し訳ないですね。でも、当時に比べると大義名分というか目的意識を持てるようになった。フィロソフィのおかげで、少しは胸を張って生きられるようになりました。

―それはフィロソフィが、人間が生きるうえでの原理原則のようなものだから?

岡野:本当にそうですね。TAMURAフィロソフィって、小さな子供がお母さんやお父さんから教わるようなことがほとんどなんです。誰もが当たり前に知っている、国や時代が変わっても決して変わることのない万国共通の価値観です。それなのに、大人になると守れなくなる。

―年を取るほど「自分への言い訳」が上手くなりますからね。

岡野:そうなんですよ。でも、だからこそ大人になった今改めて勉強することが大切なんだと思います。フィロソフィにある考え方を学び実践することで、自分自身も、自分に関わってくれる人たちもより豊かに、幸せにできるんじゃないかと思っています。

「おい裕太、そうじゃないだろ」と自分を叱ってくれる存在。

―ズバリ、岡野さんにとってフィロソフィとは?

岡野:「この行動はマルかバツか」という問いに対して、全員が100%「マル」と答える。それがフィロソフィだと思っています。人として当たり前の善悪の判断は、本来は誰もが当たり前にできることじゃないですか。

―そうですね。「感謝の気持ちを持ちましょう」という言葉にバツと答える人はいないですよね。

岡野:ところがそれを、「人が見ていないから」とか「この場合はこうだから」と、自分に言い訳をしてしまうとバツの方向に向かってしまうことが多々ある。私だって未だにあります。そんなとき「おい裕太、そうじゃないだろ。それは違うだろ」と叱ってくれる存在。それが僕にとってのフィロソフィなんだと思います。って、大丈夫ですかね?こんな答えで。

―等身大の回答で素敵ですよ!ありがとうございました。

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