高重翔さんに聞く。プロマジシャンの人生とは。

左から広報岡野さん、高重翔さん、枡田絵理奈さん、田村社長

Nanase Tsukuya / 佃屋 七星

高重さんにとってマジックの存在とは

ーーーー早速ですが、高重さんのマジックとの出会いはいつですか?

高重さん:

「テレビでマジックが流行っていた時期があって、それが丁度小学3、4年生くらいでした。図書館でマジックの本を借りてきて、初めて小学校のお楽しみ会で披露したのが最初でした。その時はコップが消えるというマジックをしました。あまりお小遣いもないので、道具は普通に家にあるコップを使って、本を読んで披露しました。その時だけはすごく人気者でした(笑)14歳ほどになってから本格的にマジックをしていました。普段から学校にあまり行かない子で、家でもすることがなかったのでひたすらにマジックに向き合っていましたね。本格的に始めたというのも、手品教室を探していたのですが田舎ということもあり、なかなか見つからず、出会ったのはマジックが趣味の内科医のお医者さんでした。その方とコンタクトを取っていると、『僕が教えてあげようか?』と言ってくださってそこから毎週病院に通うという日常が始まりました。(笑)最初はトランプの持ち方や配り方から丁寧に教えていただいて、6〜7年ほどその方の元で学んでいました。最後の方は雑談になっていましたが…(笑)」

ーーーーマジックのネタはどこかに売られているものなのでしょうか?

高重さん:

「売っていますね。本屋さんにやり方が書いてある本も売られていますし、マジシャン同士で流通しているものもあります。マジックを人前で披露する人と、披露するのは苦手だけど作るのが得意な人もいらっしゃいます。そういった方からすると、人前で披露する方に自分のネタを売ることで稼いでいる方もいらっしゃいますよ。」

ーーーーマジシャンに必要とされる要素や力は何ですか?

高重さん:

「テクニックは最低限必要ですが、それよりも他のパフォーマーさんも同様で、人前に立って堂々と話すことが大事です。俳優さんにマジックをしていただくと、やはり上手にこなす方が多くて、マジックがどれだけ上手くても人前でモジモジしているとお客さんが心配になってしまいます。だから1番大事なのはそこかなと思います。マジシャンが手元ばかり見てしまうと、お客さんも手元を見てしまいバレやすくなってしまうこともありますね。」

ーーーーご自身で考案されるマジックもありますか?

高重さん:

「一応いくつかはあります。ですが、昔からあるものを少し改良して、アイデアを付け加えたりすることが多く、純粋なオリジナルは難しいです。」

ーーーー師匠は本業が別にあって、趣味としてマジックをされていたとのことですが、高重さんが職業にしようと思われたのはどのようなキッカケがありますか?

高重さん:

「最初はマジシャンが職業になるとは思っていませんでした。マジックバーというものがあるんですけど、そこでバイトとして働いて、かつ派遣社員として薬品工場でも働いていました。どっちつかずな状態が何年か続いていて、23歳になるくらいの時にどちらかにした方がいいと周りの大人からアドバイスをいただいて、じゃあどちらの方が自分が熱中してできるかを考えた時にやはりマジックだ、というところで一本に絞りました。」

日本人のリアクションは大人しい・・・?

ーーーーデビューしてからは苦労されたのですか?

高重さん:

「デビューしたのは2016年でしたが、誰も自分を知らないような状況だったので、まずは路上パフォーマンスをやっていました。それこそ湯田温泉の中原中也記念館という施設の道端で通行人に芸を披露して、チップをいただき生計を立てていました。2年くらいそんな生活を続けていました。」

ーーーーマジシャンの大会で日本1位、世界大会では第3位を受賞される輝かしい経歴をお持ちですが、初出場でいきなり1位を獲られたのでしょうか?

高重さん:

「初めて出た大会は東京予選で、そこでは2位でした。その後の日本予選でも2位で、割と1位は獲れなかったですが順調に予選は進んでいました。」

ーーーー数々の大会に出場されていますが、深く印象に残った大会を教えていただけますか?

高重さん:

「やはり世界大会の本戦です。こんなに震えたことはないというくらいの緊張感でした。マジックが大好きな方が世界中から集まるのですが、審査員は世界で一流の大御所マジシャンで、大体マジックの種を知っている方ばかりです。そういった会場の中で皆さんを騙さなければならない。採点は大会によって異なりますが、不思議さや観客の反応、本人のパフォーマンス能力、オリジナリティなどが合算され評価されます。日本と海外では反応も全く異なっていて、日本は比較的おとなしいです。(笑)」

ーーーー大会の賞金が気になりますが…、やはり海外の大会は賞金が高いのでしょうか?

高重さん:

「これも大会によりますが、僕が出た大会の中で1番有名な『FISM(フィズム)』に関しては賞金が0円です。交通費と参加費を払って、名誉をいただくようになりますね。」

ーーーー奥様とのご結婚はいつですか?

高重さん:

「23歳の時に結婚しました。プロマジシャンになる少し前で、当初妻はマジシャンになるとは思っていなかったと思います。マジックバーでバイトをしながら、派遣社員をしている僕と結婚してくれました。だから契約違反!と言われました(笑)」

ーーーーこれまでの活動の中で「大変だった」という時期はありますか?

高重さん:

「自分を売り出していくために地元のメディアに出たいと思って、メールを送り、電話をしても、誰か分からないからという理由で相手にしてもらえなかったです。そうやって跳ね返されたりする時は辛かったですね。2016年にプロマジシャンとしての活動を始めて、2018年くらいから仕事が安定してきて『(マジック一本で)やっていけるな』と思いました。そして2020年の2、3月くらいにコロナが流行し始めて、毎日電話が鳴るんです。『あの、来月の仕事の件で…』という電話がクライアントさんから来て、『キャンセルですよね。』と僕から言う…。かかってくる電話のほとんどが仕事のキャンセルの電話でした。当時はどうしようもなかったのでオンラインで1対1のマジック講座を開講し、色々試行錯誤して生き延びてきました。多少仕事量としては戻りつつありますが、ここからまた頑張っていかないといけないと思っています。仕事を変えようと思ったこともありましたが、コロナ禍でも仕事を依頼してくれる方はいて、その方たちのためにもやめるわけには行かないという気持ちが続いて、今に至ります。」

山口県で活動を続ける訳と展望

ーーーー東京や都会に出た方が仕事の幅は広がりそうですが地元山口で活動を続ける理由を聞かせてください。

高重さん:

「もちろん都会に出たほうがいいんじゃないのと言われることもありますが、逆に山口県内にマジシャンは少ないのでそう言った意味ではライバルが少なくて、活動しやすいというのもありますし都会はイベントも少なく、もし山口県でマジシャンを呼ぼうというイベントがあった時に自分のような存在がいればいいのかなと思っています。将来的に色々なところからお呼びがかかって、そこにいる方が長くなれば移住も考えようと思っています。」

ーーーー地域密着でやっていて良かったと思うことはありますか?

高重さん:

「宇部ふるさと大使に選んでいただき、観光PRのお仕事の依頼をもらった時は少しでも地元に貢献できているなと感じることができるので、とても嬉しいです。あとは昔からお世話になっている方々に『テレビ見たよ!』とか『この間のショー見に行ったよ!』と言っていただけると自分が頑張っている姿を直接見てもらえるので、やっていて良かったし、恩返しになっているのではないかなと思います。」

収録中の様子

ーーーーマジシャンとして、これからどんな活動をしていきたいですか?

高重さん:

「自分がマジックを始めたきっかけも、自分が学校に行けていなくて暇だったからとお話しさせていただきましたが、マジックを通じて色々な繋がりができて、今まともに、マジシャンとして活動できていると思っています。自分のように学校に行けていない子や問題を抱えている子達の勇気になるような活動ができたらいいなと思っています。小中学校から依頼を受けて講演会を開くこともあり、自分の経験を交えながらお話しさせていただくんですけど、経験に沿ったマジックもあって、話をしながらそのマジックを披露したりもしています。中学生の時にやっていたマジックや、その時の心情を表したマジックなどもあります。」 

ーーーーマジックを失敗することはあるのでしょうか?

高重さん:

「もちろんあります。今でもたまにしています。ステージ上であれば上手く誤魔化しています。(笑)もちろん誤魔化せないパターンもありますが、変化が起きなかった時は『変化が起きないというストーリーです!』というような話し方をしたりするときもあります。すごく脇汗をかいています…(笑)今から使う道具を置いていたテーブルが倒れてしまったことや、引いてもらったカードを引いてもらった結果当たらなかったなど、収拾のつかない失敗もありましたね。」

最後に

ーーーー最後にリスナーの方々に応援メッセージをお願いします!

高重さん:

「僕は自分が好きなこと、マジックを見つけたのでそれをしている時間がすごく幸せなんですけど、日常で辛いことももちろんあります。これをやっていたらテンション上がるな、幸せだなと思うことがきっとあるはずです!そういったことを再確認して、それができる時間をしっかり作ることで素敵なライフになるんじゃないかなと思います。」

Epilogue


いかがでしたでしょうか?マジシャンとして日本一の称号を持つ高重さんにも、数々の苦労があり、それを乗り越えてこられたからこそマジックを通じて、年代を問わずたくさんの方を幸せにできているのだと感じました✨ぜひLFB CAFÉとまたコラボさせていただきたいですね…!

作者プロフィール

田村ビルズグループ 広報 
佃屋 七星 / Nanase Tsukuya
1999年生まれ下関市出身。大学では韓国語を専攻していました。田村ビルズグループの企業理念に共感し、2022年に新卒で入社。歴史が好きで、御朱印帳を持って観光スポット巡りをすることが好きです。

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