田村ビルズグループ取締役 河村英治さんに聞く。

左上から河村英治さん、左下広報岡野さん、右上枡田絵理奈さん、右下田村社長

Nanase Tsukuya / 佃屋 七星

――――まずは河村さんが田村ビルズの一員になった経緯を教えていただけますか?

河村さん:

「当時金沢(石川県)に住んでいまして、父親が亡くなったのをキッカケに山口県に戻ろうとしていたのですが、当時勤めていた会社にも大変お世話になっていたこともあり一周忌まではここで働こうと決めていました。ですが、一周忌を迎えることなく会社が倒産してしまい、それを機に山口県へ戻りました。たまたま当時の田村ビルズの取締役が、父の友人で『明日から出社しなさい。』と言われジャージで出社しました。前職の出版社とはジャンルが違い、不動産や建築に関する知識は全くないままに入社しました。」

――――実際に働く中で、田村ビルズはどんなグループだと感じましたか?

河村さん:

「2009年に田村が代表になりまして、そこから理念に沿った経営ということで舵が切られたことで180度会社が変わりましたが、本当に愚直に努力を続ける社員も多いですし、先週出演した山根もお話ししていましたが、『人前には出たくないけど、カフェのためであれば出演します。』と、誰かが喜ぶ姿を見たいという社員が多いのが今の会社の印象です。田村が代表になって“全従業員の物心両面の幸福の追求”と“地域業界の進歩発展”という理念を作りまして、そこから自分の生きることと働くことがマッチして、違和感なく働けているという感じです。」

――――現在グループ3社のリーダーでもある河村さんですが、どのような経緯で今の立場になられたのでしょうか?

河村さん: 「17年間、田村の無茶振りを必死にこなして今に至るというのが正しい答えだと思います。経営者として決断するという覚悟というもの、経営者自体が素晴らしいと思いますので、その決断を形にしたいという思いが強いです。会社を変えたいという田村の思いから、新卒採用をスタートさせて、不動産事業部も新築事業もなかったので、何もないところを1から作り上げてきた日々です。こんなことやりたいや、作ってみたいという発想と従業員を守りたいという想いが覚悟に繋がっていて、その想いを感じるとより、頑張れます。」

――――河村さんから見て、田村さんはどんな経営者ですか?

河村さん:

「経営理念に対して本当に真っ直ぐに追求する覚悟や強さが、色々な経営者の方とお会いさせていただくことも多いですが、改めて自分の会社の社長はすごいと思っています。ただ、最近は近寄りにくい存在にもなってしまっていますが、どこかで私は“8つ上のおじさん”だという思いも役割としては持っておきたいと思います。」

――――田村さんから学んだことや、印象に残っているアドバイスはありますか?

河村さん: 「7年前の2016年にあった経営者の集まりで田村が約5,000人を前に発表する機会がありまして、前日に食事をしていた際にお酒を飲みながら、普通は早く帰って明日の練習もしたいと思うでしょうが、田村は『原稿を読むだけだから。』と言って普通にお酒を飲んでいました。事前準備というのは当たり前ですが、そこを徹底的にしているのは尊敬しますね。新規事業の立ち上げは最初からうまく行くことはありませんが、20代の頃に任せていただいたことがあってその際に3ヶ月目までは売り上げをあげられませんでした。精神的にキツくて『辞めさせてくれ。』と言いました。そこで言われたのが『ここで逃げたら、どこで何やっても同じだから。』と教えを受けたことがスッと腹に落ちて、そこから結果が出せるようになったのであの時本当に逃げなくて良かったと思いました。」

――――リスナーの皆様に応援メッセージをお願い致します。

河村さん:

「実は私、毎朝ルーティンで京セラの創業者である稲盛和夫さんの動画を視聴して逆に応援をしていただいています。その稲盛さんが言われる一言が『時代がどう変わろうと、物事を成し遂げる、素晴らしい人生を送りたいと思えば楽な方向はないです。一生懸命でなければなりません。』と一言仰います。その言葉を皆様にも知っていただきたいですね。」

Epilogue


いかがでしたでしょうか?社内の人でも知っている方が少ない、貴重なお話を伺うことができました。50周年イベントにもラジオ内で触れておりますので、聞き逃してしまった方はアーカイブよりお聞き下さい。

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