石川久美さんに聞く、子育て論を学ぶ!

左から広報岡野さん、枡田絵理奈さん、石川久美さん、田村社長

ーーーー久美さんは福岡出身で、ご自身も選手として活躍されたそうですね!卓球歴を教えていただけますか?
石川さん:
「私は中学生の頃から卓球を始めまして、福岡大学に進学後、福岡日産自動車の実業団に入って卓球をしていました。」

ーーーー山口県にはいついらっしゃったのでしょうか?
石川さん:
「ちょうど佳純を出産して、たまたま主人の転勤と重なってその後に山口県に移り住みました。結婚を機に山口に来たので、知り合いもおらず、主人が朝仕事に行って、夜帰ってくるまでは毎日親子2人での生活でした。」

ーーーー佳純さんが卓球を始めたのはいつ頃で、どのようなキッカケだったのでしょうか?
石川さん:
「佳純が2歳の時に、地域で卓球をされている方から『一緒に試合に出よう』とお誘いを受けまして、卓球を辞めて7年ぶりにラケットを握って私と主人で一緒に始めました。その当時佳純は興味を示していませんでしたので、ずっと横で待っている感じでした。元々私の夢が国体選手になることでして、現役引退までには叶えられなかったので、まさか子供を産んでその後にまた卓球を始めて、国体選手になるとは思ってもいませんでした。いざやり始めると負けたくないという気持ちが出てきて、必死に練習をしていたら国体選手になれたという感じです。(笑)佳純が小学校1年生の時に私が国体から帰って練習していると、横に寄って来て『私にも打たせて』と言って来たんです。後に主人が『あれは国体の開会式に出ているのをテレビで一緒に見たり、地域で盛り上がっているのをみて憧れたんじゃないか』と言っていました。当時は子供に教えると、私の貴重な練習時間が減ってしまうという気持ちと、自分が愛する卓球を『私もやりたい』と言ってくれたのはすごく嬉しかったのでその気持ちとで半分半分でした。(笑)」

ーーーー当時の練習はどんな環境でされていたのでしょうか?
石川さん:
「私は、地域の体育館を使わせてもらっていました。そこは大人が練習する場所なので、子供が練習するためにはちゃんと子供が練習できる環境に連れて行かないとと思っていました。私も体育館だけでの練習で足らない時は隣の防府市の卓球場に行って、そこの指導者の方に『佳純ちゃんセンスあるんじゃない?子供用の大会があるから、それに出てみるのはどうですか?』と言っていただき、佳純本人は『やってみたい!試合にも出てみたい!』と言うのでそこから本格的に卓球を始めました。小学校2年生以下の大会予選が3ヶ月後にあることを知って、見事に予選を勝ち抜いて、それからまた3ヶ月後に全国大会があったのですが、そこで佳純と同じ年代の子供達を見て『始めて半年でこのレベルなら、小学校6年生までに優勝できるんじゃないかな』と思いました。そこでスイッチが切り替わって、主人と話をして、一階に練習場がある自宅を建てようということになり、1年後にはお家が完成しました。卓球テーブルを2台設置したのですが、主人はサラリーマンでしたので子供を強化するためにも資金が必要だと思って、私が卓球教室を運営するようにしました。」

ーーーー小学校卒業のタイミングで、大阪に進学されたそうですがその際のお話もお聞かせいただけますか?
石川さん:
「親として私もまだまだ子供に伝えないといけないことはあると思ったのですが、5年生の時からオリンピックに出たいと言う夢を口にしだしたので、本人の夢を叶えるには私が大阪に通う方がプラスマイナスありますが、プラスの方が大きいと感じたのでいってらっしゃいと、送り出しました。」

収録時の様子

ーーーー第一線で選手として活躍される佳純さんをご覧になっていかがでしたか?
石川さん:
「やっぱり自分が大好きな卓球を思い切ってできる環境で、才能もあるんでしょうけど、練習がキツくても試合に勝つと言うご褒美があるので充実した日々を送っていたと思います。月に一度は顔を合わせないとと思っていましたので、大阪に行ったり、試合に行ったりしてました。電話は毎日かかってきていたので、その日の出来事などはお話ししてました。」

ーーーーそして今年5月に現役引退を発表された佳純さんですが引退に関しては事前に相談もあったのでしょうか?
石川さん:
「話は日頃からしていたので、聞いていました。私は趣味として続けていましたが、佳純はプロとしてだったので、自分のパフォーマンスが今以上に伸びない状態で続けるのは苦しいと思うので、辞めてもいいと思うよと言うふうにはアドバイスをしました。」

ーーーー佳純さんのご指導をする上で、上達のために久美さんが心がけていたことを教えてください。
石川さん:
「小学生だから多めに見てあげようとか、そのような気持ちはなくてスポーツとしてやりたいと本人に言われた時から、練習に遅れないことや練習中の態度については注意していました。負けて怒るなんてことは一度もないですが、練習に飽きることは子供なのでよくありました。なので卓球を楽しく思える練習メニューを常に考えていました。小さい年齢の子供ほど、褒める割合を大きくすることを心掛けています。指摘をするときは『これができたらもっと良くなるよ!これができたら次の試合にも勝てるかもね!』というような言い回しをしていました。」

幼少期の写真 左:石川佳純さん 右:石川梨良さん

ーーーー親として子供を叱らないといけない場面もあると思いますが、注意するときはどのようにされていましたか?
石川さん:
「感情的に第一声でキツイ言い方をしてしまってたこともあると思いますが、本人がなぜダメなのかを必ず理解させて、納得させて終わるようにしていました。」

ーーーー卓球以外の面で、石川家のルールや教育方針のこだわりがあれば教えてください。
石川さん:
「卓球を通して子育てをしようと思ったので、卓球選手として強くなる前に人間力のある子供になってほしいと思っていました。習い事もスイミング、ピアノ、バレエ、くもんなどたくさんしていたので文武両道は大事にしていました。」

ーーーー最後にリスナーの皆様に、応援のメッセージをお願いします。
石川さん:
「何歳になっても常に自分が興味を持っていることにチャレンジする、上手くいかなくて悔しい思いをすると思いますが、成功した時にその分喜びがついてくると思うので、常にトライし続けることでワクワクする人生になると思います!」

作者プロフィール

田村ビルズグループ 広報 
佃屋 七星 / Nanase Tsukuya
1999年生まれ下関市出身。大学では韓国語を専攻していました。田村ビルズグループの企業理念に共感し、2022年に新卒で入社。歴史が好きで、御朱印帳を持って観光スポット巡りをすることが好きです。

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